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笠置寺

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  • 木津川の南、人里離れた標高288mの笠置山の頂上に笠置寺はあります。寺院は、山道と巨石を包む自然の地形の中に、その巨石が神聖なものと考えられていた2000年ほど前に、起源を持つとされています。現在、笠置寺は、高さ16mの巨石「磨崖仏」(岩石の表面に刻まれた仏様)でとても有名です。本尊は、独特で仏像ではなく、岩石に刻まれた弥勒菩薩です。弥勒菩薩は、未来のこの世界に現れ、釈迦がこの世界からいなくなった後、悟りを開き多くの人々を救済する菩薩であるとされています。笠置寺はその地形により、長い間僧侶の身体的精神的な修行の場とされていました。現在では、訪問客もその山道や修行の道を歩くことができます。

    歴史

    笠置寺は、2000年以上の歴史を持ちます。有桶式石剣(紀元前300年から紀元250年くらいの日本の石器時代である弥生時代に使われていた剣)の一部がこの地域で発見されたことにより、笠置寺の起源がわかります。初めて寺院が立てられ、人が住み着いたのは1300年ほど前になります。この時、東大寺(奈良の有名な寺院)開山で別当であった良弁とその弟子の実忠によって、様々な仏像が岩石の表面に刻まれました。そして笠置寺は、僧侶の厳しい修行の場として多くの信仰を集めました。

    1052年、日本で「末法」思想が盛んになってきました。その結果、笠置寺は多くの信者を得ました。末法思想によると、仏教の教えが忘れ去られ、世の中が苦しみの中へ堕ちていく時が来るとされています。このため多くの信者はこの時、笠置寺の大磨崖仏(岩石の表面に刻まれた仏様)を天神彫刻の仏として信仰しました。

    また1191年には、学僧として名が高かった貞慶(1155-1213)が笠置寺に住していました。勉学を励むために笠置寺に来たと考えられていますが、貞慶は、その間寺院の再建や弥勒信仰の会を創始するなどとても盛んに活動していました。その活動により笠置寺は、宗教の山として全盛を極めました。

    1331年、幕府(封建的な武家政権)を倒す計画に失敗した後、天皇は笠置寺に逃げて来ました。一ヶ月にも及ぶ攻防の末、笠置山は、全山焼亡してしまいました。このため笠置寺も崩壊してしまいました。以後、少々の復興をみましたが、江戸時代(1603-1868)荒廃しました。そして、1868年、無住の寺となりました。1876年、丈英和尚によって復興が始められ、20年後ついに現在の笠置寺となりました。

    宝物と芸術品

    笠置寺は、高さ16mの巨石「磨崖仏」(岩石の表面に刻まれた仏様)でよく知られています。寺院のメインとなる磨崖仏は時間の経過で表面の仏様が削られてしまっていますが、その他のものの中には、くっきりと残っているものもあります。笠置寺には、「十一面観音立像」をはじめ、巻物やその他の遺物を含め、20を超える重要文化財が保管されています。

    笠置寺の解脱鐘

    笠置寺の釣鐘は中国形式で、1196年に鋳造され、国の重要文化財に指定されています。底の部分に六ヶ所の切り込みがある釣鐘は、日本ではここだけです。この釣鐘は、高僧重源よって造られ贈呈されたもので、この時期笠置寺に住し、活動していた学僧貞慶(1155-1213)との関わりがあったことが認められています。

    寺伝によれば、貞慶が笠置寺に住している時、突然土が盛り上がり、貞慶の前に冥界の閻魔大王の使いが現れました。閻魔大王は、貞慶が優れた人物であることを聞き、仏教の教祖である釈迦如来についての話を聞くために使いを送りました。貞慶は、承諾し、閻魔大王に釈迦如来の話をしました。閻魔大王は、貞慶の話に感銘を受け、褒美に砂金を渡しました。この砂金が、笠置寺の釣鐘の材料に使われたと伝えられています。

    笠置寺写真
  • 拝観時間 9:00-16:00
    拝観料 個人:大人(高校生以上) 300円、中学生 100円、小学生以下 無料
    団体:大人(30名以上) 270円、高校生(遠足) 100円、中学生(遠足) 50円、小学生(遠足) 30円
    TEL 0743-95-2848
    住所 〒619-1303 相楽郡笠置町笠置山29
    公式HP http://www.kasagidera.or.jp/

    アクセス

    JR関西線笠置駅より徒歩45分。/タクシー約15分。

    笠置寺写真